Creative Intersection

ものづくりの交差点

伝統工芸士・詫間康二&詫間亘 × 宝石彫刻

STORY

伝統工芸士・詫間康二&詫間亘 × 宝石彫刻

甲州貴石彫刻に新風を吹き込む、伝統工芸士兄弟の挑戦。

about Creative Intersection

デザイナー×職人、デザイナー×素材、職人×技術……ものづくりは常に人と人、人と技術や素材といったコラボレーションの集積です。さまざまなかけ算から生まれるクリエイティブが交わる場所を、対談やインタビューを通して紹介します。

古くは水晶産出の地として知られ、その後、集積産地として研磨、彫刻、貴金属加工が発展した山梨県。甲府市にある詫間宝石彫刻は、多種多様な石を扱う宝石彫刻を中心とした工房だ。国内外のジュエリーデザイナーやブランドからのオファーが絶えないのは、その技術力とクリエイティビティにある。新たなものづくりに挑む、詫間宝石彫刻の詫間康二さん、亘さん兄弟に話を聞いた。

2021.12.03

Text&Edit: Chizuru Atsuta
Photo: Norio Kidera

ジュエリーを完成させるまでの
すべての技術が揃った土地

日本有数のジュエリーの産地と言われる山梨県。奥秩父の主脈に位置する金峰山を中心とした地域から良質な水晶が採れることから、古くから独自の発展を遂げてきた場所だ。世界的にも稀有な集積産地なため、高度な技術を持った職人が集まり、その技術は代々受け継がれている。
県の中央に位置する甲府市に工房を構える詫間宝石彫刻もそのひとつ。1967年、甲州貴石彫刻の第一人者である詫間悦二さんが「詫間宝石彫刻製作所」として創業した。現在は息子で伝統工芸士、ジュエリーマスターの康二さん、亘さん兄弟が家業を継いでいる。兄の康二さんはこう話す。
「僕がこの仕事をしようと決断したのは、いまから20年以上前のこと。当時、山梨の宝石彫刻は衰退の一途をたどっていました。かつては栄え、宝石の研磨、彫刻、貴金属加工といったジュエリーを完成させるまでのすべての技術が集約していたのがこの土地。江戸時代、山梨で採れた水晶を京都に運ぶ際に、その場で加工して運搬するために集積地となり、加工地となった背景があります。100年ほど前にすでに閉山しているので、いまは採掘できませんが、集積と加工の機能はまだ残ってる。山梨の宝石彫刻は素晴らしい技術で、国指定の伝統工芸と言われながらも一般的にはあまり知られていないことも多い。このまま無くなっても気づかれないかもしれない。僕らとしてはなんとしても残したいという気持ちで家業を継ぐことを決めたんです」

伝統技法を生かしながら
自分たちにしかできないことを

バブル経済期までは山梨の研磨宝飾産業は順調に発展していたが、バブル崩壊後は一転して市場が縮小。それから20年ほど経った現在もジュエリー産地としての歴史を誇る一方で、職人の高齢化、輸入品によるマーケットの縮小、生産高の減少など、現在の山梨のジュエリー業界が抱えている課題は少なくない。
康二さん、亘さんが10年ほど前から挑戦しているのは、これまで継承してきた技術に現代らしい新風を吹き込むことだ。自分たちが目指すクリエイティブとは? 率直な疑問と対峙しながらも、固定観念にとらわれず、現代に即したビジネスモデルにシフトチェンジを決めた。若いデザイナーやブランドとの協働作業で伝統技術を生かしていく。ここにしかない技術を巧みに扱ったオリジナルの作品づくりや、自分たちにしかできないものづくりを追求していくことを徹底的にこだわった。
「業界からすると僕らはかなり異色。なんだか訳わかんないことやってる会社だと思われてるはず(笑)。それに、本来、研磨と彫刻、貴金属加工というのは分業制なんですが、うちでは全工程をやっている。でもだからこそ、いろいろな段階に関われて、アイデアも豊富にある」(康二さん)
「最近は言われたものを作るより一緒に“開発する”という方が多いですね。僕と兄、それぞれのお客さんもいますし、共通のお客さんもいる。いまね、電話かかってきたのミャンマーの人たちだったんです。こんな石があるから、なんかやれないか?って」(亘さん)

原石の中にある内包物をデザイン
〈bororo〉に施した“同摺り加工”

山梨で採掘できない現在、詫間宝石彫刻で扱う石はすべて海外のものだ。工房の床には、棚上まで世界中から集められた石の結晶がぎっしりと置かれている。買付けはドイツ、インド、香港、オーストラリア、アルゼンチン、ブラジルなどワールドワイド。産地として開拓されてるところから買い付けることにしているという。数ある石の中から、康二さんがすっと光にかざして見せてくれたのは水晶の結晶。よく見るとうっすらと濁った線が入っている。
「線に見えるのは“サビ”で、もともと入っていたもの。いつのものかわからないけど、1500年前くらいの可能性もある。面白いなと思って、こういったサビや気泡はあえて残すんです」(康二さん)
通常は不純物が見えないようにカットしていき、歪みをなくし、均一に研磨していくのが、宝石を扱う常識とされてきた。
「僕はあえてこういう石ばかりを買って、中身を生かしながらデザインとして成立させていく。同じ考えで作られているのが〈bororo〉の「ロックリング」ですが、あの技法は、日本に古くから伝わる“同摺り加工”を自ら立体成形に応用し、自分の作品で作っていたもの。もともとあった伝統技術の中から独自に生み出したものなので、この彫刻界の中では、僕と弟しかできない。それを〈bororo〉のデザイナーの赤地さんが描いていた“やりたいこと”を実現するために提供したという感じです。ありがたいことにそれが話題となり、この10年で徐々に浸透していきました。他社からも作ってほしいという依頼が結構あるのですが、あれは〈bororo〉にしか施していない技術なんです」(康二さん)

若い世代へ宝石彫刻の継承と
海外を見据えたものづくり

20数年前に家業を継ぎ、自分たちのオリジナリティを追求してきた康二さんと亘さんが次のフェーズとして考えているのは、自分たちが受け継いだバトンをさらに下の世代へとつなぐことだ。
「これ見てください」と康二さんが指を指した先には、床に置かれた年季の入った古い機械が。「高齢の職人がもう使わないからって持ってくるんです。それを希望の金額で買い取り、うちに置く。ドイツでも同じようなことをやっていて参考にしたのですが、もう閉めそうな会社を機能ごと買収することで技術を残していくんです」
詫間宝石彫刻では、買い取った後に本人に来てもらい、実際に機械を動かしてもらうという。今では作られていない機械も多く、扱える職人も限られている。そんな貴重な技術を、職人だけが持ってるノウハウごと教えてもらうためだ。
「うちの若い子たちはどんどん質問するから、おじいちゃんの職人は喜んでくれるし、張り切って教えてくれる。機械を通して、自然な形で技術が継承されていく、この光景はいいなと思って」(康二さん)
家や流派といった特定の技術というよりは、“山梨の宝石彫刻”という伝統工芸全体をボトムアップできる。さらに、2人が後進を育てること以外に考えているのは、海外を視野に入れたものづくりだ。
「海外に行って痛感するのは、バックボーンの違い。単純に感覚が違う環境で、どこまで面白がってもらえるか。そんな話を最近よく2人でしているんです。それに兄はクリエイティブなタイプでアイデアがどんどん浮かぶし、僕は営業向きだから外国人にもバンバンいける。いいコンビなんです(笑)」(亘さん)
伝統を尊重しながらも、その枠にとどまることなく、さらなる可能性を追求していく。持てる技術を駆使して、新しい宝石彫刻のあり方を模索する2人の挑戦は、山梨の伝統工芸の未来を灯すべく、これからも続いていく。

Profile

詫間 康二さん Koji Takuma 詫間宝石彫刻代表

1973年生まれ
伝統工芸士,ジュエリーマスター
高校卒業後、貴金属メーカーに就職。その後実家を継ぐ。
Instagram: @kojitakuma

詫間 亘さん Wataru Takuma 詫間宝石彫刻専務

1974年生まれ
伝統工芸士、ジュエリーマスター
貴石彫刻の技術に加え、カッティングもこなす

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